- 宇治川の信号機に想う2
宇治川の信号を見ていると昨年の11月に山口晃氏の展覧会を思い出しました。山口さんは大和絵や浮世絵の世界に現代の超高層ビルを建てたりを、戦国武将を馬型のバイクに跨らせてみたりといった自由な発想を繊細で密度の濃いタッチで描くことで知られる現代美術家です。
その展覧会の中でおそらく電信柱が江戸時代にあったらという設定で「柱華道」と題して、電信柱のしつらえ(デザイン)について説明する指南画のような作品があります。この作品は大真面目に「電信柱」を華道や茶道の域まで昇華させているところに思わず吹き出してしまうようなユーモアが込められています。「柱華道」という設定(ルール)をつくることでアイデアが次々と出てくる様子が浮かび、作者が心から楽しんでいることをうかがうことが出来ます。一般的に優れたデザインはこの「ルールづくり」がうまくいっているのだと思います。色や形、素材ではなく、それを導くためのルールづくりにこそセンスを求められているのです。
話は逸れますが、最近のお笑いを見ていても、設定が上手に練られているものが、ウケているように思います。設定が分かりやすいと、覚えてしまうと誰でもマネが出来るので、どんどん伝染して流行るのでしょう。ですが、もともとの「ルールづくり」は誰にでもマネできるようなものではありません。お笑い芸人でない人がこれをやろうとすると、だいたいはすべって怪我をするでしょう。
デザインも同じだと思います。色や形を決めることは比較的誰でも出来るのですが、ただ闇雲に個人の好みで決めても、出来上がりはバラバラになってしまいがちです。当然、まずコンセプトがなければいけませんが、そのコンセプトを具現化する過程に、このルールづくりがあり、これこそが、そのモノの個性になるのではないかと考えております。
宇治橋の信号機を想いながら改めてそのように感じました。
- 2013年08月01日(木)15時20分